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目指すは南米最南端、パタゴニア1000km徒歩チャレンジ!

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【第一弾】南米パタゴニア、最南端へ向かう1,000km徒歩チャレンジ(後編)

パタゴニアとは南米大陸の南部に広がる地域で、アルゼンチンとチリにまたがっている。広大な土地には巨大な氷河があり、果てしない草原があり、激しい風が吹く。
時に人が前へ進めないほどの強風が吹くこの大地で、食糧、水、テントその他の荷物をザックに入れて背負い、背負いきれない分はキャリーで引いて、二本の脚だけでゴールを目指します。

この第一のチャレンジは前後2つのパートから成り立っています。
前半はチリのトレス・デル・パイネ国立公園を一周するパイネ・サーキットの約141km。そして後半はパイネ国立公園から大陸最南端の町、アルゼンチンのウシュアイア(正確にはその18km先にある道の終点)までの行程で約914km。合計でおよそ1055kmのチャレンジになります。

→前編「パイネ・サーキット」はこちら。

後編「パイネ国立公園から最南端の町へ」

これまでの人生で最長でも2泊3日だった山歩き。予定よりも2日短くなったとはいえ一週間を超える山行の負担はけして小さくはなく、連日のアップダウンで痛めた左足を庇いながらヒョコヒョコと歩く状態だったのでプエルト・ナタレスの町で数日休養することにした。
その間は食糧を買い足したり情報収集をしたり。もちろん栄養補給も大切なので、しっかりと肉や野菜も摂った。
2日もすると足の具合もだいぶ良くなったので、どうにか問題無く出発することができそうだ。

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後半戦のスタートは先日帰りのバスに乗った場所、パイネ国立公園のあの管理事務所前から。
画像の地図は黄色部分がチリ領で、パイネは上端ギリギリで図から外れている。まずはパイネからプエルト・ナタレスまでルート9を100km超南下し、さらにそのままルート9に沿って南東へ。プンタ・アレナスの手前で北東へ向かうルート255に進路を変え、マゼラン海峡の一番狭い部分をフェリーで渡る。フエゴ島に入ってからはルート257を南下、海の近くまで来たところで進路を東に転じてそのままアルゼンチン領へ。以後はルート3を南下というコースを予定しています。

まずは再びパイネに行くために、宿のスタッフに頼んで片道切符を手配してもらう。
「本当に歩いてウシュアイアまで行く気なのか!?」と相当変人扱いされたものの、こちらが本気だと分かると$8000(チリペソ)で手配してくれた。

2015.11.29

トレス・デル・パイネ国立公園を一周する「サーキット」を終え、プエルト・ナタレスの町に帰ってから3日後。僕は同じバスに揺られて再びパイネ国立公園の出入口、アマルガ湖から近い管理事務所にやってきた。

前回と違う点としてはまず進む方向。
僕以外の全員が国立公園内を歩くためのレクチャーを受けている中、たった今バスで来た道を戻る方向に歩きだす。
ここから歩いて最南端の町まで到達してはじめて、4つのチャレンジのうちの1つが達成ということになる。

もう1つ違う点は、荷がザックだけではないこと。
後ろ手に引いた金属製のキャリーには、町のスーパーでもらってきた段ボール箱に大きい水のボトルなど比較的重いものを入れて二段重ね、さらにその上にテントなどを乗せて運んでいる。

パイネ国立公園内では一部を除きほとんどの場所で流れている水を飲むことができたが、これからは水も自分で持ち歩かなくてはならない。

パイネ周辺の道は砂利道になっているのでキャリーの車輪に抵抗がかかり、実際よりもさらに重く感じる。
あっという間に大量の汗が噴き出して本当にこれでここから900kmも歩いていけるのか自信が無くなりそうになるが、それでも自分で決めたこと。一歩一歩進むしかない。

しばらくは川を左手に見ながら、キャリーを引く…っていうよりも力一杯引きずりながら歩いていく。

最初の2時間で4km弱しか進めずどうしようかと思ったが、徐々に慣れたのかペースも上がってきた。

道の脇にいたグアナコの群れ。歩く人間が珍しいのかジッとこちらを見ていたが、ある程度まで近づくと一斉に逃げだした。
どんよりしていた空もいつの間にか晴れていた。

トレッキングのルートと違ってこの辺りを歩く人間はいない。すれ違うバスからも物珍しそうに見られる。

歩いていて大変だったのは砂埃。
車が通る度に巻き上げられた砂埃が襲いかかり、車が通らなくても風が吹けばやはり舞い上がる。
全身砂まみれになるし、直撃を受けると目も開けていられない。荷物もすっかり汚れてしまった。

19時まで必死に歩いてこの日の進捗は22kmほど。
道の脇にテントを張って疲れ切った身体を横たえた。

2015.11.30

夜中から降り出した雨は朝の5時頃にはもう止んでいた。

朝焼けに染まるパイネの山々。

ゆっくりとオートミールと紅茶の朝食を取り終え荷物をまとめていたところ、突然風がものすごい勢いで吹き始めてテントが限界を超えそうに!
骨組みを支えつつ、風を受けているフライシートなどを急いで外していき、なんとか壊れる前に畳むことが出来た。
山の風もキツかったけれど、遮蔽物が一切無い大平原もキツい。テントが飛ばされたらおしまいなので何か手を考えないと…。

一日30kmは進みたいので歩くのは目安として8時間。それを4つに分けて2時間ごとに休憩を入れるようにしていた。
その2回目の休憩の少し手前、距離にしてスタート地点から約31kmでついに舗装路に到達!

考えていたよりもかなり長かったけれど、やっと砂利道から抜け出すことが出来た。
これで砂まみれの刑からもオサラバと思うとめっちゃくちゃ嬉しい。

写真は道路を横切って走る牧場の馬とそれを追うガウチョ。
ひたすら続く道の両側はずっとエスタンシアと呼ばれる牧場なので、たくさんの羊や牛などがいた。

5kmごとに標識がある。
書いてある数字を見ればどれくらい進んだのかが分かるのでありがたい。

周囲はただエスタンシアが広がるばかりで本当に何も無い。
テントを張る時の風除けになるような建物とか、とにかく何でもいいから何か無いかなと思いながら歩いていると道沿いに小さな小屋を発見!PARADA と書かれているのでバス停のようだ。

扉は無いけれど三方が囲まれているので風も防げるし、中にはベンチもある。
こういう場所で寝られれば、風で悩まされることも無いしそもそもテントを設営する必要も無い。

そういえばバスで国立公園まで行く際に道沿いに同じような小屋があるのを何度か見た。
定期的にこういうバス停があるのなら意外と大丈夫かもしれない。

20:15、本日の前進終了。歩いた距離は27kmと目標としていた30kmに満たなかったが、ちょうど良いバス停(PARADA)があったので。日が長いのでまだ進むことは可能だけれど、この先どれぐらい行けばこんなバス停があるか不明なので今日はここまで。

バス停内部。ベンチがあるのでその上にロールマットを敷き、シュラフを伸ばして寝る。
当然のことながら、ゴミは例え飴の包み紙1つでもその辺に捨てて行くつもりは無かったので、ゴミ箱があるのも助かった。

この後もたくさんのバス停のお世話になったが、思い返すとここが一番キレイだったかも。

2015.12.01

11月の上旬にこちらに来たが、ついに12月。

朝、物音に目を覚ますと牛の群れが目の前の道を歩いていた。

定番のレーズンを入れたオートミールと紅茶で朝食を済ませ、8時20分スタート。
この日の天気は晴れ。風が弱いのは助かるけれど、そのぶん暑くて辛い。

この旅の相棒となるキャリーに名前を付けてみた。
いくつかの候補の中、呼んでみて一番しっくりきたのがパイネのキャンプ地で一番キレイだった「ディクソン」。
なので今後はディクソンと呼ぶことにする。

10時半頃、パイネとプエルト・ナタレスのちょうど中間に位置する小さな町 Cerro Castillo に到着。

ノボリを立てている売店を見つけたのでドリンクを購入することにした。
かなり喉が渇いていたので炭酸のレモンソーダに惹かれたが、エネルギーになるのはこっちだろうと思って1.5Lのネクター系ドリンクを買った。

画像は Durazno(桃)のジュース。汗かいて歩いた後の冷えたドリンクはやっぱり美味い。

止まっているとすぐ身体が冷えてくるが、歩きだすとこれもすぐに汗が噴き出してくる。
そうすると自然と日焼け止めの溶け込んだ額の汗が目に入ってきて痛い。涙がポロポロ出る。

歩く時の靴はパイネでもずっと履いていたミドルカットのトレッキングシューズ。
休憩の際には足を休ませるためによく靴を脱ぐんだけど、暑かったのでそのままビーサンで歩いてみた。これが意外と快調。

広大なパタゴニア、トレッキングコース以外で歩いている人なんて誰一人いないので、物珍しさもあってかよく声をかけられる。
一日に何人もの人に「どこ行くの?よかったら乗ってかないか?」って言われるけれど、「ウシュアイアまで1000km歩くために来たので」と説明して丁重にお断りする。

夕方、あと20分くらい歩けば今日の目標は達成というところで、また一台の車が停まってくれた。
降りてきたのは午後に一度止まってくれた女の人。

歩くために来たから大丈夫と伝えたはずなのにどうしたんだろう?と思っていると、抱えてきた紙袋を渡された。
「これ何?」と聞くとサンドイッチやドリンクだという。
なんと昼間見かけただけの見知らぬ外国人の僕にわざわざ買ってきてくれたようで、その心遣いに感激。

車が見えなくなるまで手を振った後、紙袋を開けてみた。

サンドイッチと聞いてたけれど、出てきたのはハンバーガー。
どうやらこっちではハンバーガーのことも(を?)サンドイッチというらしい。

男の手と比べてこの大きさ。バーガーキングのワッパーよりもさらにデカい。特に肉は余裕でバンズをはみ出すほど。
ドリンクも普通のジュースだけじゃなく、たくさん汗をかくだろうからとゲータレードとの2本立て。本当にありがたい。

ジュースは昼に自分で買った桃と同じシリーズだが、こっちのオレンジの方が柑橘系の酸味が効いていて疲れている時にはさらに美味い。

差し入れを貰ったのはちょうどバス停の前。満腹になったことだし今日はここで寝ることにした。
ここにはベンチが無かったけれど、ロールマットを持っているのでそれを床に敷けば問題無し。

今日は30km以上歩いたはず。
近くの標識によれば、プエルト・ナタレスまではあと32kmのようなので明日には着きたい。

2015.12.02

6時頃、牛の唸り声で起床。昨日も聞いたけれどこの唸り声が結構大きい。
朝食を済ませ7:45頃スタート。日が隠れているお陰で程よく涼しくて歩きやすい。

相変わらずこちらの人はヒッチしなくてもよく停まってくれる。毎回同じ説明をしてお断りするんだけれど。
すれ違い様にハンドサインを送ってくれる人も多いのでこちらも手を挙げて返す。この無言のコミュニケーションが何か良い。

ふと気付いたがこっちにはトンネルが全くない。パタゴニアに来てから一度も見ていない。
(道路に蓋をしたようなトンネルは少しだけ見たが、本来の山に穴を開けるようなものは結局見なかった。)

途中のバス停にて休憩中。
風が強いと休憩している間に体温を奪われがちなので、バス停があるとありがたい。
ただ町に近づくにつれてだんだんと、中にゴミが捨てられていたり窓ガラスが割られていたり、バス停が汚くなっているのが気になるところ。

15時半頃、プエルト・ナタレスの町が見える湾の対岸にたどり着いた。
ほんの3日前に出発したばかりの場所だけど、パイネから100km超を自分の脚で歩いてここまでやってきたかと思うと感慨深い。

そこから約一時間で湾を回り込んで町外れに。

写真の像はおよそ一万年前までこの地に生息していたミロドンという巨大な哺乳類。
ナマケモノの仲間で体長が3m程あったらしい。

先日泊ったゲストハウス、Patagonia Borigen ($8000) に顔を出して「パイネから歩いてきたよ」というと驚きと共に迎えられた。

今回は一泊だけ。
翌朝すぐに出発なので重い荷物はリビングに置かせてもらい、疲れてはいるがまずは買い出しに向かう。

スポーツ用の化繊の長袖がおよそ$10000、クロックス(もどき)が$4500、日焼け止めが$1500、その他食糧系は干しレーズン1袋と紅茶1箱、水6L、それに箱ワイン1.5Lを購入。
一日歩きづめの毎日なので、低価格でも意外と美味しいチリワインが夜のお楽しみ。

当日用にはソーセージとトマト、それにパタゴニア産のビールの AUSTRAL を買って、野宿とは一味違った夕食を楽しんだ。

翌朝からはいよいよ未知の領域。フエゴ島に渡るため、南東へ進んでマゼラン海峡を目指します。

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 No.3 パイネ国立公園からプエルト・ナタレス
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