~親に会えない子供をなくそう~
目指すは南米最南端、パタゴニア1000km徒歩チャレンジ!

HOME > チャレンジの記録 > No.8 ルート3を南下する

2015.12.19

待合室のベンチで目覚める。今日からはついにアルゼンチンだ。
この国境地帯は双方のイミグレが15km程離れているが、どちらもサン・セバスチャンと呼ばれている様子。

8時ごろ出発し、80kmほど南の Rio Grande(リオ・グランデ)を目指して歩きだした。
大西洋を左手に見ながら緩やかに坂を登って行く。

アルゼンチン側のキロポストは1km毎で、南下して行くに従って数字が増えていく。
「RN3」は Ruta Nacional 3 で、国道3号という意味。

チリ側と比較するとこちらは道路が狭いので、その分ちょっと気を使う。

初めて標識でウシュアイアの文字を発見し、テンションが上がる。

しばらく歩いていると一台の車が止まり、「アミーゴ!」と声をかけられた。
誰かと思えば昨日待合室で顔を合わせたおじさん。僕に水とスモモとバナナ、それにホットドッグを手渡して「俺はこれから仕事だからもう行くけどさ、頑張れよ」と言って元来た道を帰って行った。

チリ側は沿道がずっとエスタンシアで、毎日道の両側に羊や牛を数え切れないほど見たが、国境地帯を過ぎてからというもの馬やグアナコも含めて動物自体をほとんど見かけることがなくなった。代わりに工業的なもの、大きなプラントなどをたまに目にする。
あの手の所は牧場みたいに気軽には入れないイメージがあるし、こっちはバス停もまったく見ないので、夜間に雨が降った場合は凌げる場所を探すのに苦労しそうだ。

向こうから走ってきたパトカーが目の前で停まった。降りてきた2人の若い警察官がいろいろと質問してきたので職質なのかと思ったら、それも半分あるんだろうけど、どうやら純粋にこんなところを歩いている東洋人に対する興味の方が大きいようだった。

2人のうち特に興味を持って聞いてくる彼は背こそちょっと低いものの、艶を付けた髪をキッチリと分け、ティアドロップ型の黒いサングラスがよく似合う、イメージの中の外国のポリスメンがそのまま抜け出してきたような男。
ひとしきり説明を聞くと満足したのか「車に接触すると危ないから気をつけて」と言ってニカッと笑い去って行った。

果てしなく広がるアルゼンチンの大地と空。

21時頃。朝出発した国境地帯=サン・セバスチャンから40km。今日はここで野宿とする。
このペースなら明日にはリオ・グランデに着くことが出来そうだ。

夕食は今日もパスタ。毎日パスタだけど不思議と飽きない。

前回の素野宿の時と違って下に敷くグラウンドシートも盗られてしまっているので、ロールマット+その長さが足りない分はザックカバーを敷いてその上にシュラフを配置。今夜も雲は一切見当たらないので明日の朝までは大丈夫そうだ。

2015.12.20

夜間の冷え込みでシュラフやザックに一面霜が降りていた。

一応撥水仕様のシュラフだからか、これぐらいなら中まで濡れることはなく眠りにも支障は無い。
ただそのまま収納するわけにもいかないんで、なるべく太陽と風に当たるようにディクソン号の荷物の一番上にふんわり広げながら歩くことにした。

今日はなるべく早目に着いて町も見たいので、朝食はパンとチーズだけにして6時前に出発。
2時間半で10km程進んで少し休憩。

左のアキレス腱付近が痛い。
連日歩いていればどこかガタが来るのも仕方ないが、ウシュアイアまでは何とか持ちこたえてほしい。

ウシュアイアから北上してきたドイツ人チャリダーのヨーゼフ。
初対面にも関わらず僕のことを知ってたので何故か聞いてみると、「歩いてウシュアイアに行こうなんて人間は他にも誰もいないから、自転車乗りの間でも噂になってる。この辺通る人は結構みんな君のこと知ってるよ」と言われた。

確かにここまで徒歩の旅人には一人も会っていないんで珍しいんだろうけど、こっちが知らない人に知られてるっていうのは何だかちょっと不思議な気分。

15時半ごろ、分岐点が現れる。今日はリオ・グランデに泊るつもりなので左へ進んだ。

進むごとに徐々に建物が増えてきて、この辺ってもう町なのか?と思っていたところにまた一台の車が停まってくれた。
中から顔を出したのは少し前に「乗ってく?」と声を掛けてくれたカップルで、なんと近所の店で水1.5Lとバナナ、そして林檎をわざわざ買って持ってきてくれたのでありがたく頂く。
水は結構よく貰うので、いつの間にかもうゴールまで心配要らないくらいのストックができていた。

リオ・グランデの町は予想以上に大きく、徒歩の旅人にとってはあまり良くない意味で都会的だ。
町の圏内に入ると交通量が増えてきて、ただでさえ狭いアルゼンチンの道路で車をやりすごすのが難しくなってくる。
車が来るたびに路肩に降りて待つことになるので当然ペースも遅くなる。

以前すれ違ったチャリダーが、「あの町は広すぎてゴチャゴチャしていて好きじゃない」と言っていたが、まさにそれを実感することになった。

外周の幹線道路は歩きづらいので町の中に入ってみた。
奥までズラッとアパートメントが建ち並ぶ様子は、今まで見てきたパタゴニアの町には無いものだった。
ちょっとヤンチャ風の若い子も連れだって歩いていたりする。

歩いてみて目立ったのが沢山の落書き。
これは学校だが、アパートや店など他はもっと派手に描いてあるのが多かった。

街中は歩道と車道が別れていて、歩道はよく舗装が剥がれてたり凸凹になってたりするのでキャリーを引きながらだととても歩き難い。まずは宿を決めたいところだが、歩いて探すのが不可能な規模なので通りすがりの人に聞いてみた。

ところがどうも要領を得ない。普通だとある程度宿が集まっているエリアとかがありそうなものだけど、どうもそういうのは無いらしい。そもそもバックパッカー向けの安宿がどこにあるのかよく知らない様子。

小さな町なら住人はどこに何があるかだいたい把握してるものだけど、広すぎる町の弊害だろう。
大きな街中での野宿はいろいろとトラブルの原因にもなるので出来る限り避けたいが…

wifiの使えそうなカフェなども見当たらず、どうしようかと困っていたところパトカーを発見。
声を掛けてみると、なんと昨日路上で職質(?)してきたサングラスが似合うポリスマンだった!

彼は僕の名前もちゃんと覚えてくれていて「どうしたコウ!?」「大丈夫だったかコウ!?」と連呼してくる。事情を説明したところ、パトカーに乗せて知っている宿まで送ってくれるという(!!)
一瞬考えたけどもう町まで着いているし、もともと街中の移動は総距離に含めないので問題ないか……ということで、お願いすることにした。

パトカーの後部座席に座ってみると、前部とは小さな穴がいくつも開いた金属板で隔てられている造りで、雰囲気出ててなんかいい。

これで宿の問題は解決と思いきや、着いてみるとまさかのお休み。もう1つ心当たりがあるからと行った宿もまた休み。彼は途中パトカーですれ違った婦警さんにも聞いてくれて、そっちも何ヶ所か回ったんだけれど……驚くことにその全てが休みだった。

彼が言うにはたぶん今日が日曜日だから。そもそも宿が週一で休み取るとかどんなシステムなのかよく分からないが、実際開いてないものは仕方がない。彼もそろそろ打つ手がなくなってきた、ちょうどそんな時に入った無線連絡。どうやら事件か何かで現場に行かなきゃならなくなった様子で、もう時間が無い。

そんな中、最後に連れてきてくれたのはカジノが併設された見るからに高そうなホテル。ここは当然年中無休で営業しているようだけど、レセプション係の色気あるお姉さんに値段を聞いたら最安の部屋で一泊1万5千円くらい。カードを切れば泊れるけれど、さすがに今回泊るようなホテルじゃないので申し訳ないがパスさせてもらった。

ここで仕事が入ったポリスマンたちとはお別れ。トランクに積んでもらってた荷物を下ろしお礼を言って見送ったけれど、絵になるポリスマンだったので写真を撮らせてもらわなかったことを少し後悔。

さてこれからどうしようと考えたが、道路の向かいにもう一軒ホテルがあったのでそっちを覗いてみることに。

見たところ照明が点いておらず、やっぱり休みかと戻りかけた瞬間、中に人影を発見!
声を掛けてみると出入口はこの先を曲がったところだと教えてくれた。

無駄にロビーが綺麗なので料金も高いかと思ったが、キャッシュで払うなら一割引きということで$630(≒5700円くらい)。
迷ったが、他に選択肢はなさそうなので今日はここで手を打つことにした。

部屋に入りさっそくwifi繋いでいろいろ確認したり、icloudのバックアップをしようとしたが、回線が重たいので何度やってもバックアップが成功しない。もう1ヶ月以上間が空いているんで是非ともと思っていたが泣く泣く断念。

その後食料などの買い出しに行こうとしたところ、フロントの男性から近所のスーパーは21時までという素敵な情報を頂き、代わりに24時間営業のコンビニ的な店を教えてもらって、そこでビールとパンなどを買った。

バックアップも出来ず、食料も思った物が買えずで何だか面倒になり、晩は結局ビールを飲みながらパンを齧って寝る。

2015.12.21

Hotel Villa で5時半起床。
痛みのある左足を見たらやはりアキレス腱の付近が腫れている。

次の町 Tolhuin(トルウイン)まではおよそ110km。
ここは何とか3日で歩きたいので、今日は最低でも35km、できれば40km進みたい。

そういえばだいぶ痩せた気がする。
体重計に乗る機会がないので正確な数字は不明だけど、今までの経験上5kgくらいは痩せていると思う。

せっかくホテルに泊ったので朝食を3人前くらい食べてエネルギーを蓄えてやろうと考えていたのに、バイキング形式ではなかったのが残念。

9時頃出発。道幅が狭いので車が来るたびに道路を下りて少しずつ前進。
街中を抜け、Ruta3に合流するのに一時間半くらいかかった。

13時過ぎ、川を渡りやっとのことでリオ・グランデの勢力圏から離脱。
自然も無いただ大きなだけの町に徒歩で来るのはもうこれで最後にしたい。

次の町トルウインにはある一軒のパン屋がある。
自転車で旅をするチャリダーの間ではとても有名な店で、ただで泊めてくれるらしい。
僕は自転車旅ではないけれど、人力の旅人を応援しているのなら行ってみる価値はありそうだ。

右から2匹目、全身真っ白なグアナコ。最初見つけた時は二度見してしまった。
グアナコ自体は飽きるほど見てきたけれど、アルビノはもちろん初めて。
ちなみにこのしばらく先で白馬も目撃した。

坂を登りきって休憩していたところやってきたのがこのブライアン。
ウシュアイアでイタリアのチャリダーから僕のことを聞き、探しに来たんだとか。

いろいろと聞いてきてメモまで取るしすごく熱心だなと思ったら……なんと彼はリポーター。
30分ほど話したが、内容は新聞か雑誌か何かに使われるらしい。

「町に着くころには有名人だよ」と言われたが正直まだちょっと半信半疑。
それよりもテントを盗まれた話をしたら、持っていたビニールシートをくれたので、それがめちゃくちゃ嬉しかった。

ビニールシートはかなり大きなもので、これと紐があれば木の枝を使って簡易テントのように使うことも出来る。
屋根を失くした僕にとっては最高に嬉しいプレゼントだった。

その後もまた歩いて歩いて…

これは22時頃。左手は大西洋。
道の脇で野宿しようと思っていたが、ワンボックスカーが停まり「すぐそこに泊れるとこあるよ」と教えてくれたので行ってみることにした。

行ってみるとそこは別荘的な物件がいくつか集まっている場所で、無人かと思いきや一人の旅人がいた。彼はジョン、ウシュアイアからスタートし自転車で北を目指しているところで、同じワンボックスカーの人に聞いてきたらしい。だが2人で探したものの、自由に使えるという屋根の無い建物は見当たらない。

仕方なくそこらにある建物の軒先にでも寝かせてもらおうとしていたところ、突然扉が開いて中から男性が現れた。

スペイン語の上手なジョンが状況を説明し、さらに泊めてもらうことは出来ないか交渉に移る。
かなり長いこと話していたけれど……結果なんと、建物の中に泊めてもらえることになった!

一時間前には予想もしていなかった、まさかの屋内泊。おかげで今夜も雨の心配をせず眠ることができた。

2015.12.22

6時起床、空は曇り。ジョンの淹れてくれたコーヒー、それと持っていたパンで軽い朝食。

出発準備OKのジョン。彼は北へ、僕は南へ。

木の高さはちょうど人間くらい。
これくらいの木があれば紐で結んでビニールシートをかけて、即席のテント代わりにすることができそうだ。

ルート3の2900km地点までやってきた。この辺りはアップダウンが多い。
ここに来るまでの間に手袋は小指を残して全て穴が空いてしまった。

4連続で続く大きな坂を越えて下っていると、目の前でまたバイクが停まった。彼らはタンデム(2人乗り)でバイク旅をしているというマリオ&ジョージ。そのヘルメットに付いているGoProは僕も今回のために購入したが、一週間くらい使ったところで突然映像が撮れなくなってしまった、無念。

今回もやはり珍しがられていろいろと話をした。お互い立ち止まって話し始めれば10分15分は当たり前。長い場合はそれ以上になるので、一日に何人も立ち話をしていると結構な時間になることもある。彼らは最後に「よかったら食料の足しにして」とチョコやクッキー、ジャムやナッツをくれてまた風のように去って行った。

彼らは一時間も経たずに次の町に、数時間走れば今日中にウシュアイアに着くだろう。

2人と話していたのは17時前後。別れた直後から雨が降り出して、いつものようにすぐ止むかと思っていたが、どうやら本降り。空を見ても全面灰色の雲で覆われていて当分止みそうもない。

でも相棒ディクソンに乗せた段ボール箱にはザックカバーをしているし、その上の荷物にもゴミ袋を被せている。背中のザックは中身全部を大容量の防水袋に入れてあるのでこれはもう完璧超人、なんて思っていたが……弱点は意外なところにあった。

(※以降写真を撮る余裕ゼロだったので画像は無しです)

それは足元。雨が降り続き水溜りが増えてくると、なんと足元から水が浸みてきた。履いているのは普通のスニーカーじゃなく、Merelのトレッキングシューズ。山にも履いて行くやつだしもちろん防水のはずなんだけど、実際に水が浸みてきている。先日のパイネトレッキングも含めてもう4年くらい使っているんでそろそろ替え時だったのか。

雨がさらに強くなってきたのでゴアの上着だけではなくパンツも穿くことにした。
一度靴を脱いで足を通し、もう一度靴を履こうとしたその時、踵に感じたゾブッという嫌な感触。見るとシューズ踵の内側部分が数cmエグれてしまっていた。

濡れて弱くなっていたのもあるだろうが、靴がこんな風にエグれることを初めて知った。突然の大ピンチにどうしようかと思ったが、靴紐を最大限緩め、エグれた部分を指で整えながらそっと足を入れてなんとかまた履くことができた。

靴下もすでにぐちゃぐちゃに濡れていたが、足元だけならまだ大丈夫。そう思って進み続けていたところ、今度はどうも上半身が怪しい。調べてみると、ゴアの上着ポケットに入れていたメモがかなり濡れてしまっていた…!ということは、身体もやはり濡れている。ゴアテックスって外側からの水分を通さないと思っていたけどそれは勘違いだったのか!?それとも毎日着ていることによる劣化なのか…?

確かに前からゴアジャケットの表面が水を弾いてるようにはあまり見えず、べちゃっとしている感じなのが気にはなっていたが、いつの間にか足だけでなく上半身も濡れているという状態になっていた。もちろん上半身が濡れれば、自ずと水滴は下にも垂れてきて、下半身も濡れることになる。

降りしきる雨の中、一人びしょ濡れになりながら歩いていると、何人かの人が「乗ってかない?」と停まってくれたが「ありがたいけれどウシュアイアまで1,000km歩くというチャレンジ中なので」といつも通りお断りする。だがさらに雨脚が強まる中、一台のトラックが停まってくれた際には、今日は一旦町まで乗せてもらおうかと正直心が揺らいだ。

が、1,000km達成まであと100km強。ここでそんなことをしたら今までの苦労の意味が無くなってしまうと思い直してそのドライバー、ジャスの申し出を断った。ジャスは「わかった、俺は毎日この道を通るから何か助けが必要なら声かけてくれ」といって再び雨の中に消えていった。

途中何度もビニールシートで簡易テントを作って今日はここまでにしようかと思ったが、その都度あと1km進んでから、あと1km進んでからと自分を鼓舞して歩き続けた。そして歩いて歩いてやっと今日の目標としていた辺りに近付いてきた頃、道の両脇に何一つないのが普通のこのパタゴニアの地で、コンクリート造りの建物を発見した。

近付いてみると廃墟のようだが屋根があるだけでもビニシーのみと比べれば天地の差。本当にラッキーだったと思いながら寝るのに一番良さそうなスペースを探していると、なんと奥から人が出てきた。

ハンチング帽を被ったその男性が来た方を見ると、廃墟の一角が自作の部屋のようになっている。ホームレスの人かと思ったが、とにかく今は追い出されずにここで一夜を明かすことが出来ればそれでよかった。

近付いてきた彼に「ここで一晩寝たいだけなんだけど…」と話すと、ロクに説明も終わらないうちに奥に入れと促された。丸太に掛かった布を捲ってみると、確かに奥にスペースがある。屈んで中に入ってみると意外に広く、10畳程度のスペースがあった。

そこには彼が寝ているであろうテント他様々なものがあったが、僕の目を奪ったのは暖かみのある炎を宿した暖炉だった。それはドラム缶で出来ていて、パイプを繋げて上手に煙を逃がしてある。まさかこんなところで、パタゴニアの道をずぶ濡れで歩いていて、たまたま目にした廃墟で、暖炉があって火が燃えている確率って0コンマ何%なんだろう?これは奇跡的といってもけして誇張じゃあない。

この廃墟の主、フラビオはとても親切な人で、まだ荷物が外に置いてあるからというと一緒に来て運んでくれた。

暖炉のそばにスペースをもらい、靴下やトレッキングシューズ、手袋その他も火に当てて乾させてもらいながら、たっぷりの砂糖を入れたコーヒーとパンまでご馳走になってしまった。

彼は長年パタゴニアをさすらい、時にガウチョをしたりしながら生活しているという。ちなみに今のこの場所は4ヶ月程住んでいるらしい。彼にはなんと(というと失礼だけど)ウシュアイアでフォルクローレをやっている彼女がいて、携帯の画像を見せてもらったけれど、かなりの美人さんだった。

フラビオいわく今日はちょうど夏至の日。太陽は何時にも増して長く空に留まり続け、やっと夜という暗さなったのは23時頃。自分のシュラフに入りウトウトしていると、フラビオが寒くないようにという配慮か、薪を足してくれる物音がした。疲れきっていた僕はパチパチと木の燃える音を聞きながらいつとはなく眠りに落ちていた。

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