~親に会えない子供をなくそう~
目指すは南米最南端、パタゴニア1000km徒歩チャレンジ!

HOME > チャレンジの記録 > No.6 フエゴ島上陸

2015.12.12

フエゴ島は地図で見ると南アメリカ大陸の爪先に当たるところで、サイズで言えば九州よりも一回り大きいくらい。
世界最南端の町でもあるウシュアイアはこの島の南部にある。

7時頃、目が覚めて外に出て歯磨きをしていると、昨日轢かれていたのと同じ模様のアナグマっぽい動物が動いているのを見つけた。他にも中型の首の長い鳥やダチョウを一回り小さくしたような鳥がいたり、アナグマが消えた辺りからは猫も出てきた。人が住まなくなったのでいろいろな動物が住みついているようだ。

アーノルドは8時頃先に出発。僕はその後ゆっくりめの10時前にスタートした。

昨夜泊まるつもりにしていたバス停のある交差点から、道はルート257と名前が変わる。
このひたすら真っすぐな道を3時間強、15km歩いてフェリー乗り場に到着した。

今まで通ってきた道にもたまにカフェはあったが、ほとんどの場合寂れていて閉まっており、二度と開くことは無さそうだった。
ここは久しぶりのちゃんと開いている店。

ちょうど接岸していたフェリーに車が次々と吸い込まれていく。人は一番後らしい。
並んでいた車のドライバーにチケットはどこで?と聞くと必要ないのでそのまま乗れと言われた。
無料とはとてもありがたい。

意外にもと言ったら失礼だがキレイな船内。席はかなり余裕があって好きな所に座ることができた。
テーブルのある席があったり、ホットドッグやコーヒーが買える軽食コーナーもある。
アルゼンチン領内から長距離バス等で一気に移動する人もこの船に乗るためか、船内ではチリペソだけでなくアルゼンチンペソも使うことができる。

船が動き出して15分ほど。距離にして約5kmの対岸、フエゴ島が見えてきた。
両岸をつなぐ船は3隻あって、ローテーションで休みなく往復している様子。なのでいつ来てもそれほど待たされることはなさそうだ。

「ようこそ、フエゴ島へ」

こちら側にもカフェがあったが、残念なことに閉まっていた。
近くでホットドッグやドリンクを売っている屋台だけは稼働しているのを確認。

海を渡っても道は同じくルート257。
時刻は14時半を回ったところ。最寄りの町、セロ・ソンブレロへ着くのは明日になりそうだ。

あの白いのは何だろう……

20時まで歩いてR257の35kmサインのところまで進んだけれど、バス停もエスタンシアも見渡す限り一切何も無い。
空を見ても雲がほとんど無いので、今夜はこの旅初の素野宿を敢行することにした。

多少でも風が凌げるように道の周囲が少し盛り上がったところを選び、風向きに対してその盛り上がりを背にするように場所を取った。そこにテントのグランドシートだけ敷いてシュラフを伸ばす。
微風とはいえ外だと風の影響を直接受けるので調理はしない方向で。食事はサラミとワインだけにする。

シュラフのおかげで特に寒い思いもせず、パタゴニアの星空を眺めながらいつの間にか眠りに落ちていた。

2015.12.13

5時半頃、朝の風景。

意外と居心地も悪くなく、昨夜しなかった分朝からパスタやら何やら作ったりもして。
結局出発したのは9時過ぎ。

13時過ぎにR257の50km地点に到着。
ちょうど道の分岐点でちょっと広めのバス停(もしくは休憩所?)もあったのでそこで昼休憩にした。

今日のクッキーは一番好きなカプチーノ味。それと白ワインをマグカップに少々。
休憩は風を凌げるかどうかが最大のポイントなので、ここの小屋はとても助かった。

これまでは追い風が多かったけれど、フエゴ島に入ってからは向かい風が多い。
かなりの風速なのでそれだけで引く荷物が倍の重さに感じる。

16時前に Cerro Sombrero(セロ・ソンブレロ)の町の前まで到着。
ここでもまた広くてベンチ幅のある、つまり快適に眠れそうなバス停を発見。さっきのよりもさらに良い。
久しぶりの町でもあるし、wifiも使いたいのでここは宿に泊るのもありと考えていたけれど、高すぎたりした場合はここで十分。

さて買い出しでもと向かった町の入口で声を掛けてきてくれたおばさんによると、ここには小型のスーパーがあるものの、なんと営業時間は15時(か16時?)まで。ということは今日はもう閉まっている。

これは完全に誤算だった。明日の営業も10時からだという。

今夜はここに泊るとしても、買物は今日中に済ませて明日は早く出発するつもりにしてたのに。
しかしやっていないものは仕方が無いのでとりあえず町へ探索に向かう。

セロ・ソンブレロの町は田舎にしては意外にいろいろと施設があって、右の四角い建物はなんと映画館。
やはりと言うべきか稼働はしていなかったけど。

ホテルも結構しっかりした規模のものがあったけど、一泊US$68(チリペソなら$38000)からだったのでパス。もう1つリーズナブルそうな Hostel の看板を出しているところがあったけど、そこはもう宿としては営業していないようだった。残念ながらwifiのあるカフェなんかも無いようだ。

メインストリートを歩いていると、まだ開いている個人商店を発見!
場所はスーパーや映画館のある通りの少しだけ先の方。

小さい店ながら品揃えは結構良くて、ちょうど旅の途中で欲しいようなドリンク類やアルコール、パスタや米、カップ麺にソーセージやチーズ、卵に林檎まで。
ここである程度揃えてしまうことも出来たけれど、店のおじさんがやたらと喋りかけてくるのでゆっくり選べないのが難点。結局パスタ(400g入、$700)とパタゴニア産ビールのAUSTRAL($700)を一缶だけ購入した。

ビールは持ち歩かないので町に来た時だけの贅沢品。バス停に戻り味わって飲んだ。
今日はかなり少なめの22km、R257の57km地点まで。

2015.12.14

朝はたいてい小がしたくて見が覚める。今朝は10時からスーパーに行って買い物をするので出立が遅め。
昨日苦労した風も今はほとんど無いので、本来なら早めに出て距離を稼ぎたいところだが、ここはじっと我慢の子。
その時間を使ってソーラーパネルでしっかり充電をしておいた。

泊まったバス停内の様子。
これまでのバス停はだいたいベンチ部分の幅がこの半分くらいしかないので落ちないように寝るのが難かしいこともあるが、ここは完璧。窓の割れもほぼ無かったように思う。

と、ここで緊急事態発生……

まさかの盗難に遭い、なんとテントを盗まれた……
他にも盗られた物はあるけど、テントはその重要性からいって深刻。しばし呆然としてしまった。

テントが無いということは自ら寝る場所を確保できないということ。
この町の規模ではテントが買えるような店はまず無いだろうし、この先で店が有りそうな町といえばリオ・グランデだけど、まだ200km以上はある。

一瞬リタイアという言葉が頭の中をよぎったが……困難あってこそのチャレンジ。
最悪どうにもならない時はヒッチハイクすればいいかということで、しばらくテント無しで旅を続けることにした。

気持ちを新たに再び歩き出す。

19時頃、逆方向から来た一台の車が目の前で停まった。
「この先は道のコンディションが悪いんでキツいよ。迂回した方がいいと思うんだけど途中まで乗って行くかい?」親切にそう声を掛けてくれたカップルに「気持ちはありがたいけど頑張るんで大丈夫」と対応していると、後部座席から一人の男が顔を出した。

それは3日前の晩、一緒に廃屋に泊ったフランス人のアーノルド。
彼はヒッチハイクで旅を続け、なんともう最南端のウシュアイアまで行ってきたと言う。

レンタカーを運転していたポーランド人のカップルも世界中いろんな所を旅しているようでしばし話が盛り上がる。
ウシュアイアまで歩くというだけでもかなりビックリされたが、その他にもまだ3つこんなプランがあるという話をすると笑いながら「君はとってもロコ(loco=英語で言うクレイジー)だ」と言われた。

カップルが持っていたポーランド国旗と一緒に男三人で記念撮影し、お互いこの先の幸運を祈って別れる。

分かれ道。道路標識を見ると真っすぐのはずだけど、工事中なのか車通行止めになっている。
当然車はみんな右に行ってしまうので若干不安だったが、標識通りに真っすぐ進んでみることにした。

造成中の道らしく、キロポストも無いのでR257なのかどうかも分からなかったが、そのまましばらく進むとおよそ75km地点で道がまた合流しているのを確認。車も流れてきていたので一安心。

ただし、舗装路はここまで。
さっきのカップルから聞いていたので覚悟はしていたけれど、やはりここからはキツい道程になりそうだ。

今日は盗難もあり、いろいろ時間を取られたので進めたのは18kmのみ。
合流地点近くにあった無人のエスタンシアで屋根を借り、ロールマットとシュラフを敷いて就寝。

2015.12.15

夜中から朝にかけて少し雨が降った。
素野宿でもいいかと一瞬考えたものの、屋根の下を確保して本当に良かった。

朝食はパンとチーズ、それに紅茶。
屋根の下にいると雨音が大きく聞こえるが、外に出てみるとそれほど大したこともないので出発を決める。

相棒ディクソンの荷物には雨用にザックカバーやビニールを被せ(砂利道の埃対策にもなる)7時半頃スタート。

あそこからずっと砂利道かと思いきや、少し行くとまた舗装路になっていて「あれ?ラッキー」なんて思ったけれど…

5kmほど進んだところで巨大な機械が行く手を塞いでいた。
これは道路を舗装していくマシーンのようで、これがここにあるということは、その先は舗装路ではないということ。

砂利道は本当キャリーにとって難敵で、ディクソンは比較的タイヤが大きめなので力技で何とか進めるけれど、これが一般的なスーツケースのように小さなタイヤなら砂利の海に埋もれてしまうことだろう。

悪戦苦闘しながらも一歩一歩必死に進んでいると一つの奇跡が。

なんと再び舗装道路が現れた。
まだ造成中なので車が通れないように網が張られていたが、徒歩ならその上を進むことができる。

正直これはめちゃくちゃ有難い。
突然差しこんだ光に心も軽くなってきた。

周りを見る余裕が出てきた。これは顔が黒いタイプの羊たち。

やはりこの道はR257だったらしい。95km地点で少し休憩。

1kmごとくらいにネットが張られているので車はみんな砂利道の方を通る。
おかげでぶつかる心配もなく安心して歩くことが出来た。

車道を通って移動するグアナコの群れ。

この未完成の舗装路が少しでも長く続くことを祈りながら歩いていると、107km地点で車が通っていた砂利道と合体。
ここから先はすでに正式な道として使われているようで大きく安堵した。

地平線までただ道しか見えない。

ずっとバス停も無いのでどうしようかと思っていたが、幸運にも一日歩いたちょうど最後のところで小さな小屋を発見。
裏のエスタンシアの作業小屋だろうか?扉も無く人もいないので一晩寝かせてもらうことにした。

中を覗くとなんと木のベンチ(ベッド?)まである。今日は本当に恵まれた一日。

夕食はいつものパスタに町で買った玉葱を入れてみた。コンソメとスープの素に粉ミルクも入れてクリーミーに。
玉葱を入れたことで普段の倍くらいになり、ボリューム的にも大満足。

今日は予想外の舗装路のおかげで37km歩くことができて112km地点まで。
明日はこの先、東西の道と交差する Onaissin(オナイシン)まで南下して、ペンギンのコロニーを見に行きます。

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