2015.12.08
夜中に一度風が気になって目が覚めたが、大したことは無かった様子で一安心。
テントが張ってあるのを見かけると、挨拶代わりに軽快なクラクションを鳴らしながら通る車も多い。
目が合った時はこちらも笑顔で手を挙げて返答する。
調理はテントの前室で。カップスープの素はパスタの味付けに結構便利。
フライシートの隙間から入ってくる風に対しては風除けの衝立が非常に有効だった。
前半戦であるパイネ一周が終わって後半戦が始まる前夜、12個茹でて持ってきた卵の最後の一個を朝のマッシュポテトに入れて完食。
朝は出るのがちょっと遅くなって10:15スタート。
そういえば周囲はずっとエスタンシア(牧場)ばかりで畑の類を一切見ないけど、野菜なんかはアンデスとか別の地方で作ってるんだろうか…?
今日は風が相当強くて日本でなら台風の時にしか吹かないような風が吹いている。
歩いている最中も身体がふらつく程の勢いで、進行方向を強制的に変えられたりもする。
強風を避けて木の蔭にいる馬たち。
僕が段々と近付いて行くと、仔馬を後ろに隠して大人の馬たちが前に出てきた。
動物も人間も子を護る気持ちは変わらない。
この旅の相棒ディクソン(荷を運ぶキャリー)の積み荷としては、まず一番下に現地のスーパーでもらった段ボール箱を置いて、そこ入れた水が6Lの大容量ボトル+αで10L程。それにワイン、ジュースなどのドリンク類。
サンダルなどの履き物や調理用のガス缶の他、上に積んだテント、圧縮袋に入れた服、食料(これが結構重い)、地図その他を入れた手提げ袋などを合計すると推定で20kgぐらい。
それにディクソン自体が5kg程あるので引く重さとしては25kgくらいのはず。
昼はいつも通りクッキーを開けて7割ほど(3日で2本の計算)食べる。
別の場所に入れていた干し葡萄はこの強風の中出すのが面倒なのでパス。
毎日している手袋は指二本分すでに穴が空いている。
17時半頃、逆方向に進むフランス人のチャリダー(自転車乗り)2人組に出会った。こういう同じ人力での旅人同士は親近感が湧く。
「どこから?どこまで行くの?」みたいな話をしてお互い頑張ろうと別れたが、その少し後、この旅初めての雨らしい雨が降ってきた!
これまでの小粒の通り雨とは違い、今回は大粒の本降りだ。
ザックの中身は防水袋に入っているので問題無いし、相棒ディクソンの荷物にはザックカバーとビニール袋を被せたのでこれで一応は凌げるはずだ。ただし段ボールは一ヶ所でも水に濡れればそこから浸透していき箱としての強度がほぼ無くなるので早めにどこか避難したいところ。
地図によると、この先をあと数kmほど行けば、久しぶりにガソリンスタンドやカフェがあるところに着くらしいので早足で進む。
途中で徐々に雨が小降りになってきたのでホッとしていたら、さっきのフランス人コンビが「so hard!!」と言って戻ってきた。この先のカフェにでも避難するんだろう。
速度が段違いなのであっという間に抜かされてしまったが、こちらも30分後には予定のポイントにたどり着いた。
ここは北西と北東から来た道が1つに合流するY字路になっていて、南に進めばこの地域最大の町プンタ・アレナスがある。
もちろんプンタ・アレナスからもフエゴ島行きのフェリーは出ているけれど、出来るだけ陸を歩いてウシュアイアまで行きたいということで、北東へ進み Punta Delgada(プンタ・デルガダ)近くの港からフェリーに乗ることにした。
(フェリーの所要時間はプンタアレナスからだと約2時間、プンタデルガダ近くの港からだと約15分)
写真奥の建物がカフェだが残念ながら営業しておらず、密かに期待していたハンバーガーを食べることはできなかった。
幸いバス停があったのでそこに泊ろうかと思っていると、さっきのフランス人チャリダー、ビクトルと再会。
彼らはすぐそばのエスタンシア(牧場)の人の家で庭にテントを張らせてもらっていて、良かったら一緒にどう?と誘ってくれた。
彼についてエスタンシアの人のところまで行ってみるとあっさりOK。庭でテントを並べて泊まることになった。
なんとパイネで仲良くしていたドイツ人カップルに続き、彼らも同じMSRのテント。
ちょっと多めに作ったんで、と夕食にお呼ばれ。フランスで一般的に食べられている豆の料理らしい。食後にお茶までもらってしまった。もらうばかりでは悪いので、こちらはピスコ(チリの蒸留酒)を提供した。
今日は予定より少し短めの28km。隣のテントから聞こえてくる心地良いBGMに揺られながらピスコを飲んで眠った。
2015.12.09
6時半起床。朝食はいつものオートミール(と紅茶)だけど、粉ミルクを入れ忘れた。
それにしても粉ミルクが全然減らない。今晩からパスタにも入れてみよう。
7時半前後から細かい雹?アラレ?が降り始め風も強くなる。
朝食を終えてさてパッキングと思っていたが天気が落ち着かないと出るに出られない。
こっちは日本のように一日雨とかは無いと思うのでとりあえず様子見。
そういえばここ一週間ほど親指と人差し指の皮が剥けてきた。両手ともこの二本だけ。
おかげでiphoneの指紋認証が使えなくてかなり不便。
そうこうしているうちに8時には日が差して鳥の鳴き声も聞こえすっかり良い天気。
ソーラーパネルで予備バッテリーを少し充電したり、ビクトルたちとお互いに写真を撮ったりして10時ごろ出発した。
今日からは新しくルート255を歩くことになるが、これまでのルート9とはどことなく雰囲気も違う。
ただ休憩や泊まりに利用させてもらっているバス停はこちらにもあるようだったので少しホッとした。
バス停と言えばたまに人糞らしきものが落ちている。
最初は犬や他の動物かとも思ったが、紙がセットで落ちているのを見て人間と確信した。
パタゴニアは広くそして町は少ない。100km以上トイレの無い区間もたくさんあるからか、周りから隠れられるバス停内でする奴がいるようだ……。
この辺の標識によく書いてある「Fin del Mundo」というのは「世界の果て」っていう意味。
今日も結構寒い。休憩中はレインウェアの中にウルトラライトダウンも着ているのに、風の当たらないところにいても寒い。
徐々に南下してきたから(南半球なので南に行くほど寒くなる)か、それとも風邪気味の体調のせいなのか。
急に辺りが暗くなったので空を見上げる。そこには天を翔る巨大な龍の胴体があった。
さらに数時間が過ぎ、予定の距離をクリアしたのでそろそろどこか泊まれるところをと探しつつ歩くが、あいにくバス停もなく他に風除けになりそうな小屋なども見当たらない。風が弱ければ別にいいが、むしろ段々と強まってくる気配。
ちょうどエスタンシアの前に差しかかったので、塀の陰にでもテントを張らせてくれないか思い切って頼んでみることにした。
敷地内に入ってみると、建物はいくつもあれどどれも人の気配が無い。
すいませーん!と大きな声で呼んでみても返事は無く、どうしようかと思っていたところに一人のおじさんが出てきてくれた。
彼はフアンさんと言ってオフシーズンの管理人らしく、この時期は基本的に彼一人だけらしい。
片言のスペイン語でお願いするとなんと従業員用の小屋に泊ってもいいよと言ってくれた!
ベッドにマットレスもあるのでシュラフを伸ばすだけで快適に寝ることができる。
晩ご飯はいつものようにパスタを作った。
ところで調理に使用している230gサイズのガス缶、パイネ最終日に開けてからもう12日目なのにまだ使えている。最初のものは7日で空になったのに。火を細めに使って節約しているのもあるんだろうけど、朝晩と一日二回使ってることを考えるとかなり持ってる方じゃないかと思う。
2015.12.10
夜中に暴風、そして雨か雹か分からない粒が窓ガラスを叩く音で一度目が覚めた。
外でテントを張っていたら危ないところだった。
7時過ぎに起床。
喉の違和感は続いている。やはり風邪かも。朝食後に日本から持参した薬を飲んだ。
しばらく前から足の裏、っていうか踵がひび割れているような感じで痛いんだけど、昨夜ひさびさに靴下を脱ごうとしたら左足の方から血が出て固まり、足と靴下が一体化しているようだった。なので左はどこか宿だったり洗濯のできるところまでこのままそっとしておくことにした。
泊めてもらったエスタンシア(牧場)。
今日の出発はこれまでで最遅の11時になってしまった。
遅れを取り戻す為にがんばって2時間ちょっとで10数km歩く。
そしてそろそろ休憩をと腰を下ろしたとたん雨が、いや直径数mmのアラレがかなり本格的に降り出したので、急いで荷物含めての完全防備態勢を整えた。
実際に降っていたのは40分前後。
晴れ間が戻ってきたら一時間もしないうちに道路もほぼ乾いていた。
今度こそと道端で休憩していると、さっき「乗ってくか?」と配達中っぽい軽トラで声を掛けてくれた子連れの男性が再び現れ、その子からウエハースとジュースを手渡された。帰り道のついでだろうが、わざわざ買ってきてくれたことが本当にありがたい。
その後また着実にルート255を進み、ちょうど海に出る手前のところでガソリンスタンドを発見。
風が強かったので、風除けとして止まっている二台の車の隙間にテントを張らせてもらえないかと頼んだところ……
なんと当日勤務だったマルセロさんはスタンドの事務所内で寝ていいよと言ってくれた。
昨日もそうだったけど、みんな本当に優しい。
カフェとパンをいただいた後、2人でしばらくテレビを見て、床にロールマットとシュラフを敷いて風に悩まされることなく安眠。
今日は約30km進み、R255の63km地点まで。
2015.12.11
パイネ一周後、改めて出発して13日目。スマホのアラームで起床。
マルセロさんの予定に合わせ、早めに朝食を済ませて6:45スタート。
ガソリンスタンドの脇に生えていた、ある意味とてもパタゴニアらしい木。
というのも、パタゴニアは強風が当たり前なので枝がいつも風の吹く方向に傾いて育ってしまうことがある。この木はその典型。
マゼラン海峡を右手に見ながら北東へと進む。
道路を歩いていると時々撥ねられたり轢かれたりした動物の死骸を見る。
これまではウサギやスカンクなどがいたが、今日はアルマジロが。
その後小一時間程の間にさらに3頭のグアナコらしき死骸もあった。他と比べてもここだけ何故か多い。
歩いていてふと周囲を見ると、黒く低い雲が辺りを包みこんでいた。
空を見上げると後ろは青空が見えているのに眼前は一面の雲。
パタゴニアは風が強くて雲の動きが早いからか天気が目まぐるしく変わる。
晴れていたと思ったら一面の曇り空、曇ったと思ったらアラレが降り、気付いたらもう晴れ間が見えている、なんていうのもけして誇張ではない。
しばらく行くと教会、そして大きな倉庫などが見えてきた。
エスタンシアはたくさんあっても、通常この道からかなり奥まったところに建物を作るので道沿いに何か建っているのは本当に稀。
1870年代創業のエスタンシア(牧場)の建物だが、今は廃屋となっている。
座礁したのか打ち捨てられた船もあった。
グアナコ飛び出し注意の標識。
17時前にR255の100kmのサインに到達し、そこから2kmちょっと先。
ここを曲がればいよいよフエゴ島へ行く車だけっていう交差点で泊まれそうなバス停を発見したので、少し早いけどそこを今夜の宿に決めた。
荷物を置いてピスコを飲もうとしていると、目の前の交差点で止まった車から大きなザックのヒッチハイカーが降りてきた。
声をかけてみたところ、彼はフランス人で僕と同じく最南端の町ウシュアイアを目指してるという。
彼はヒッチをしつつもう少し進むというので「良い旅を!」と別れたが、30分もしないうちに「泊まれるエスタンシア見つけたんだ。バス停で寝るよりずっと広いけどどう?」と誘いに戻ってきてくれた。
話をつけてきてくれたとはありがたい!と彼について行ってみると、5分ほどであるエスタンシアの入口に到着。
「ここは開かないんで乗り越えるんだ」という彼に従い敷地の中へ。奥にある建物にお邪魔してみると……
なんとそこは廃屋。ここはもう使われていない無人の牧場だった。
元は羊の毛を刈る作業場だったのか、もしくは肉をバラす所だったのか。
今となってはよく分からないが、ガランとした部屋にはただ埃が積もっていた。
想像していたのとまったく違ったのでちょっと驚いたが、こういう場所で寝られる図太さも旅人には必要だ。
慣れた様子で寝床を作る彼の名はアーノルド。ちょっと変わっているけれど、親切で人がいい。
今日は出発が早かったおかげで過去最高の39km進むことができた。
明日はついにマゼラン海峡を渡ってフエゴ島へ!
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